書店員である私が本屋大賞に投票しなかった、たった1つの理由【本屋大賞への批判は……】
ある作家は言った、「書店員の思い上がり。本のソムリエ気取り」だと。
また別の作家が言った、「一部書店員の勘違いで2万店あった書店は1万5千店に減った」と。
そしてある「ニュースキャスター」は言った、「芥川賞と本屋大賞の区分けがだんだん無くなってきた気がする」と(実況やっていればよかったのに)。
その他にも本屋大賞批判で検索すると数多くの記事がヒットします。
「本屋大賞は商業主義」・「権威主義」、「すでにベストセラーなものを後追いしても意味がない」、「ランキング依存を助長している」。果たしてこれら批判は。
まずは本屋大賞のこれまでの歴史と現状を振り返ってみましょう。
本屋大賞ができたきっかけ
本屋大賞は、下記杉江さんのインタビューのように「直木賞」へのアンチテーゼとして、生まれました。
(Q)「本屋大賞」が始まったきっかけは何でしょう。
(A)2003年の1月発表の直木賞は「受賞作なし」でした。
私は出版社の営業マンとして書店員さんたちとはよく飲み会でお話をするのですが、この結果にはみんな落胆していました。有力な候補作がいくつもあったし、直木賞は売り場が動く賞ですからね。本が売れなくなってきている危機感を持つ書店員にとっては「それはないでしょ」という気持ち。「じゃあ、自分たちで何かをつくろう」というのが始まり
「文壇」の生み出す文学賞ではなく、「売り場」から想像する文学賞として、その対立軸を目指したように見えますが、書店側は直木賞芥川賞をはじめ「文学賞」という存在を否定している訳ではありません。
私の愛読書『12人の優しい書店人』に出てきますが、「受賞作は現実売れ」ますし、今回又吉さんが受賞したことを喜んでいるのは書店側かもしれません。
またオリオン書房の白川さんがおっしゃる、当時直木賞が「受賞作なし」となった際のご発言が印象に残ります。「自分の望んだ作品が受賞しても落選しても、自分たちはこれまで人様が選んだものを押し頂いて仕入れ、売っていただけじゃないか(p113)」。
「誰か」に与えられる作品ではなく、「自分たち」で推したい作品を選んでみたいという意図が本屋大賞の設立動機にある訳です。
本屋大賞ができたきっかけ(余談)
その誕生秘話を、運営に携わるお二人の対談で読むことができる記事があります。「スペシャル対談 本屋大賞はこうして出来た!」もぜひご一読ください。
初めての別冊! 私の本屋大賞(PART1) : 晴読雨読~はれどく
本屋大賞の決まりかた
■選考期間
2014年11月〜2015年4月■対象作品
本屋大賞 2013年12月1日〜2014年11月30日の間に刊行された(奥付に準拠)日本の小説(判型問わずオリジナルの小説) 翻訳小説部門 今年1年に日本で翻訳された小説(新訳も含む)の中からあなたの「これぞ!」という本を3冊までおススメしてください。
(2013年12月1日〜2014年11月30日に日本で刊行された翻訳小説)発掘部門 ジャンルを問わず、2013年11月30日以前に刊行された作品 ■投票参加資格者
新刊を扱っている書店の書店員であること(アルバイト、パートも含む)
(ホームページやファックスにて投票のエントリーと投票を受け付けております。)■選考方法
- (1) 一次投票で一人3作品を選んで投票
- (2) 一次投票の集計結果、上位10作品をノミネート本として発表
- (3) 二次投票はノミネート作品をすべて読んだ上で、全作品に感想コメントを書き、
ベスト3に順位をつけて投票。- (4) 二次投票の集計結果により大賞作品を決定
- 投票の得点換算は、1位=3点、2位=2点、3位=1.5点 (2015年実施)
- ■スケジュール
2014年 11月1日(土) 一次投票スタート 2015年 1月4日(日) 一次投票、発掘部門 投票締め切り 1月21日(水) ノミネート作品発表
二次投票スタート2月11日(水) 翻訳小説部門 投票締め切り 3月1日(日) 二次投票 締め切り 4月7日(火) 本屋大賞作品、発掘部門、翻訳小説部門発表
本屋大賞はスケジュールを見ていただければお分かりいただけると思います。繁忙期真っただ中での1か月強というスパンで10冊を読むということ(+感想コメントを書くこと)のハードルは決して低くはありません。
それだけ熱意もあり、本を読むこと、そして売ることが好きな書店員が数多く投票しておられます*1。「第1回から参加している」という発言を書店員の先輩が誇らしげに語っていたのは眩しい光景でした。
本屋大賞への批判
本記事の冒頭に掲げたように、数多くの批判も寄せられます。けれどもそれは祭りの側面からすれば無粋なものもあります。それぞれが頑張る方向は別にしていいのに、見ない・手に取らないという選択肢を取らずに、批判ではなく中傷する発言を見かけた際には、正直ガッカリすることもあります。
私がデビューした九年前と比べると、文芸書のスペースは著しく減少し、四分の一になったというのが実感です。
海堂先生の発言は示唆に富みます。本屋大賞は、普段本を読まない人にも向けて「読書」のススメも行っていると私は意味づけています。「メディア」が取り上げる意味はある。そう言い切れます。もともとミリオンセラーになる本は普段読まない人が手にしないことには到達が難しい数字であることも考えて書店に来店するきっかけになればいいなと、1書店員として願っております。
えーそしてちなみに、先生のご著書も過去本屋大賞で投票されてますよ。
地域書店大賞、店舗でのオススメという取り組み
またひとつ批判があります。店頭の金太郎飴批判です。本屋大賞をどこの書店も置くことで、同じようなラインナップになるというご批判。
それはもちろんご尤もな部分もあるのですが、「書店の金太郎飴」批判と同じく私は疑問に思うことがあります。例えば、並びは同じでしょうか。飾り付けは同じでしょうか。それに関連した書籍を書店員が個人的に推していたりはしないでしょうか。
人間が造るものに、コンビニ的金太郎飴の側面は皆無とは言いません。ただ携わる人間が違えば、作られるものは異なる。そこは申し上げておきたいと思います。
また本屋大賞や各地域の書店大賞、そして書店員の名前を使った企画に対して「欲に目が眩んだ」、もしくは功名心からこれらの賞を作ってるというご指摘もあります。
果たしてそうでしょうか。本屋大賞においては実行委員の方は手弁当で携われれてますし、各地の書店員の方も熱意という動機に基づいて、「多くの人に手に取ってもらいたい」(もちろん会社組織の人間として、その使命である「売り上げのため」という意識もないとは申しません)部分もありつつ、いろいろな無償労働*2。
好きな作品を誰かに伝えたい、なにかをオススメすることに躊躇う理由は必要ありましょうか。
しながない書店員である私も、上記記事で書いたように棚づくりに関しては、試行錯誤で可能な限りすべての書籍に対して平等な愛情を注いで棚を耕したいと考えています。
けれども機械でもない書店員は、それはどのような商売に関しても、どのような行動に対しても言えることであるように、すべてを「平等」には扱える立場にありません。知り合いの営業さんがいる場合もありますし、大好きなジャンル、オススメしたい先生もいらっしゃいます。
本を読むプロではありませんし、報酬を受け取ることがプロを意味するならば永遠に書店員は読むアマチュアと言われるかもしれません。「書店は入荷した本を並べておけばよい。均質に、平等に扱うべき」とのご批判もあります。それは否。平等に扱うことと、オススメすることは相反しません。
本屋大賞で過去にあった、「オレ本大賞」が私は好きです。ジャンルを問わず選ばれた作品たちと温度の高めの文章はいまも胸に刻まれています。
本屋大賞に関する2つの願い
書店員への願い
さきほど、私はこのように言いました。
「誰か」に与えられる作品ではなく、「自分たち」で推したい作品を選んでみたいという意図が本屋大賞の設立動機にある訳です。
これは、いま本屋大賞に突き付けられた課題の一つだと考えています。
一部の書店では(残念ながらこれまで私が所属した店舗の中にも)「自分たち」で推したいのではなく「誰か」に与えられるイベントになってしまっているのは事実です。彼らは本を読まない訳でも、仕事に怠惰な訳でもありません。また海堂さんは「カリスマ書店員」と「数合わせ書店員」との表現で酷評していましたが、それにも同意しません。
ただ、仕事に忙殺されて本屋大賞ノミネート作、引いては受賞作は読めていないけれども本部が送ってくるから陳列しておくという担当も無きにしも非ずだと現状では言わざるを得ないのです。
これは「本屋大賞」という本屋のお祭りが神輿を担いでないけれども、遠目に見ている書店員が存在しているように思えてしまうのは偽らざる感想です。
その担当さんたちが「誰か」に与えられる作品になっていないかは、これからも引き続き動向を見守っていきたいと思います。
本屋大賞への願い
本屋大賞に「翻訳小説部門」というジャンルがあることをご存知でしょうか。
残念ながら、存在を伝えきれていないという書店側の努力不足もあるでしょう。受賞作の海外小説は文庫化した際も「本屋大賞受賞」とお書きになっておりますが、それが果たして店頭で十分訴求されているかというと疑問符が付きます。
もちろん、メインは本屋大賞ではありますが。
そのほか、発掘本という面白い企画をwebで公開してみたりと、盛り上げる方法はまだまだあると感じております。お仕事を増やすようで誠に恐れ入りますが*3、実行委員の方々への提言として申し入れたいと思います。
(まぁ正直なところ時期を区切ったお祭りだからこその盛り上がりという側面もあると自覚はしております。)
- 投票内容についての情報を毎年必ず公開してはいかがでしょうか(現状では都道府県別の投票数などを一部掲載していない年度があります)
- 「本屋大賞」とそれ以外も盛り上げるための企画立案。そしてwebの有効活用
(例)ブログなど立ち上げて、発掘本コメントを(承諾を得て)掲載するなど発信していく(発表後時期を区切って集中的に?)。マンガ大賞が行っているような売り場画像を募集してお祭り模様をソーシャルに掲載する。など - 授賞式模様の長期公開してみてはいかがでしょうか
「書店は結婚相談所だ」
この喩えに絶対的価値を置くつもりはありません。しかし、出会いに迷っている人にとって「書店は『結婚相談所』である」と思うことがあります。
例えば、出会いを求めている人にとって、まず先に利用する場所ではないかもしれません。すでに身近に出会っているかもしれませんし、誰かに勧められるのではなく、独力で切り開きたいという方もいらっしゃることでしょう。
またネットを利用して出会う方も少なくない今日。「ネット書店」を利用するように、好みに合わせてピンポイントで出会いを提供してくれる場もあります。
けれども、出合いに迷った際に気分転換がてらに、ふらりと立ち寄る。もしくはスピード婚のように、ゴール(欲しい本)としてすぐに出逢いたい(手に取りたい)方にとって利用してみようと思う空間ではないでしょうか。
暇つぶしがてらに寄ってみてはいかがでしょうか。
【結婚】に至らなくとも、「お好みに合わせた」、もしくは「ふとした」【出会い】が待っている空間かもしれません。
ご来店される方が「なにか」を、また「気づき」を感じるきっかけとなる「素材」を提供することが「本屋のひとつのお仕事」だと感じております。それは『絶〇』発売に際して書いた下記の文章を胸に、応援することと売ることの両輪を自覚して。
本屋は本を並べることで、本を売っている。
「文化」と呼ぶ人もいれば、「商売」という人もいる。
我々は本を売ることで、その言論を擁護する、非難する目的で販売しているのではない(少なくとも書店員の一人としてそう願っている)。
その一方、応援したい作品もある。読者の人生を変える作品もある。
我々は本を売ることしかできない。それは最大限の、そして唯一の武器である。諸刃の刃にもなりえることを自覚して。
最後に
本記事を最後までお付き合いしていただいた方に、タイトル「書店員である私が本屋大賞に投票しなかった、たった1つの理由」への答えをお伝えいたします。
それは・・・(昨年秋口から今年初めまで)「書店員をお休みしていたから」。
なんだそんなことかよ。そうお思いの方もおいでだと思うので、もう一つの回答を用意しております。
「積読本が多すぎて、本を読む量が多くないと自覚しているので『本屋大賞』に参加するほどの資格があるとは思えない」。
まさに積読書店員の面目躍如(?)といったところなのでしょうか。投票している先輩方に比べて「圧倒的に読書量が少ないのではないか」と内心ビクビクしている私。
実際のところ、読書量を明確に尋ね聞いている訳ではありません。けれども、流れてくる情報だけでも諸先輩方の読書量(精読・速読含めて)は私なぞ大抵追い付けるものではないと日々感じてしまします。こんな書店員が、投票することに気後れしてしまう方々もいらっしゃるのです。
業界内からの「本屋大賞」批判記事だと思われた方。申し訳ありません。タイトルの件は平にお詫び申し上げます。
私は書店員です。これまでも、これからも「本屋大賞」を応援しておりますし、応援するがゆえに建設的な意見を申し上げていきたい。そう思っております。
「批判はダブー」? そんなことはありません。実行委員の方も新しい投票についても個人的なご意見を発言されておりますし、業界内でダブーだと感じたことはありません。
ただ・・・来年に向けて気になることが1件あります。
果たして『火花』は2次投票にノミネートされるのか否かという件です。素晴らしい作品であることはここで強調するものではありませんが、さすがにミリオンを達成した作品を「売りたい」とすることはキビしいようにも思います。業界クラスタの皆さまはどうお考えでしょうか。
ここで再び杉江さんのご発言を引いて、書店員にとっての「本屋大賞」とは書いた本記事を締めくくりたいと思います。
正社員は言うに及ばず、アルバイトの学生さんや店頭業務をしていない方にも投票権があるのが特徴です。一次投票でベストテンに絞り込み、その作品をすべて読んだ人が決選投票を行って大賞を決めます。いわば、最前線から版元や著者へ送るラブレターのようなもの
本屋大賞は、「読書」のすすめであると同時に、普段直接お伝えできない*4「書店員」から著者の先生への「ラブレター」でもあるのです。
投票する・しない、結果を見る・見ないは個々人の自由だと思います。する人、見る人にとって、来年の4月はどのような光景が映るのでしょうか。
本屋大賞をきっかけとして。もしくはきっかけとしなくても。
本を、読まない人にとっても、読む人にとっても、本屋がなにかしらの「出逢い」があることを願って。
誰しもが読者である。
本日の本大ハイライト → 辻村先生のあの笑顔に心を奪われて、柚木先生にネタを奪われて、そして和田先生&木皿先生の貴重なサイン交換現場に遭遇したこと!! pic.twitter.com/a3hsqzZtrJ
— 積読書店員ふぃぶりお (@fiblio2011) 2014, 4月 8