積読書店員のつくりかた

とある書店員が気ままに書く、本と本屋さんとそれをつなぐ人々についてのつぶやき。書店と読書とイベントな日々、ときどき趣味。

わが人生の「教科書」井上靖『あすなろ物語』を再読して甦る青春の記憶



誰にとっても、その「一冊」が人生を変える可能性がある。

本は出合いである。人生のターニングポイントで、ふと手にした作品によって運命を変えられることもある。私は書店員として働く中で、「人生を変えた」とまでは言い切れないまでも、「目の輝きが変わった」人に出会ったことは幾度もある。

目の前に分岐したルートを、小説が、エッセイが、コミックが、児童書が、ビジネス書が変えてしまうことがある。

フラグが立っていた。これは、あとあとになって分かることが多い。けれども、(本だけに限らず)手に取った、出会った、見かけた、赴いた瞬間に対象物が輝いて見える場合がある。

いわゆる「一目惚れ」である。

お城と翌檜の木の如き大木

私には青春を変えた小説がある。本作も一目惚れであったと記憶している。

その小説とは、井上靖『あすなろ物語』。井上靖の自伝的小説と言われるが、ここで「自伝『的』」としたのはおそらく井上自身をモチーフにしながらも、相違点も数多くあるからである(井上の半生とのリンクは後述する)。

芥川賞を受賞した『猟銃・闘牛 (新潮文庫)*1』、映像化された『氷壁 (新潮文庫)』、歴史小説『敦煌 (新潮文庫)』や大河ドラマにもなった『風林火山 (新潮文庫)』 あたりと並んで井上靖が執筆した小説の中でも人気のある作品である。新潮文庫の中でも売り上げ上位に入ることから、読書感想文のために購入した方が少なくないのではなかろうか。

そして、なにを隠そう、私もそのうちの一人であった。(ただ、なぜか読書感想文に「どのような内容」を書きなぐったか覚えていない……ので、本当に感想文を書きあげて提出したかどうかは怪しいところ(苦笑))

あらすじ

本作は、主人公「梶鮎太(かじあゆた)」の幼少期から青年壮年期までの青春を巡る小説である。物語の冒頭から登場する「冴子」が作品前半における鮎太の女性観を形成し、引いては物語全体のテーマをも左右することになる人物である。

鮎太と祖母りょうの二人だけの土蔵の中の生活に、冴子という19歳の少女が突然やって来て、同居するようになったのは、鮎太が13になった春であった。

「深い深い雪の中で」

構成される6編ごとに時代が移り変わり、また舞台も静岡、福岡、東京、大阪と様々な都市(と思われる場所)が登場。それぞれ女性たちや友人、好敵手との関わり合いが描かれ、また登場人物が行き交う連作短編のような形式となっている。一方で、主人公の半生を時代順に辿っていく構成の流れでもあり、6章に分かれた一つの小説でもある。それぞれの話を登場人物と共に簡単に挙げてみる。

  1.  「深い深い雪の中で」
    梶鮎太(13歳)が祖母りょうと土蔵で過ごした小学校時代。
    (主な登場人物)
    ◎おりょう(戸籍上の祖母)梶家先代当主の妾、鮎太を郷里にて預かる
    ◎冴子(さえこ、祖母の姪)19歳、女学校生徒
    ◎加島(大学生)温泉旅館伊豆屋に宿泊している東京の大学生。鮎太に「克己」という言葉を教えてくれる
    ◎鮎太の父(13代目梶家当主、軍医)陸軍に仕官しており、各地を転任する
  2. 「寒月がかかれば」
    鮎太(中2)が渓林寺に居候して「神童」と呼ばれていた中学生時代。
    (主な登場人物)
    ◎雪枝(渓林寺住職の娘)女学校卒業したての体育会系女子。「お寺のお雪」と呼ばれ、男子顔負けの豪傑として近所でも有名。
    ◎山浦(同級生)なにかとよからぬ噂のある生徒
  3. 「漲ろう水の 面より」
    鮎太(大1)が九州の大学に進み、恋慕する人を追いかけ東京と行き来する大学生時代
    (主な登場人物)
    ◎佐分利信子(未亡人)旧家に嫁いだのち夫に先立たれる、貧乏嫌い・派手好き、美貌の持ち主、鮎太は彼女に「翌檜でさえない」と喝破されることになる
    ◎英子(信子の義妹)20歳、声楽家志望
    ◎貞子(信子の義妹)18歳、絵画の才能がある

    木原(高校時代からの友人)工科学生、義妹たちの家庭教師
    ◎大沢(同じく友人)法科学生、容姿端麗な青年
    ◎金子(同じく友人)農科学生、なにかと裸体になりたがる
  4. 「春の狐火」
    鮎太が一流誌R新聞社の社会部記者となり、老記者と交わる中での学ぶ日々
    (主な登場人物)
    ◎杉村春三郎(ベテラン記者)通称お祭り春さん、最古参だが半ば窓際族、専門は神社仏閣の催事等、物腰は柔らか、のちに大阪から岡山に転出することになる
    ◎清香(春さんの末妹)美人とは言えないが可憐で気立てのいい娘
    ◎山岸大蔵(社会部部長)巨漢で威圧感のある
  5. 「勝敗」
    鮎太が好敵手と熾烈な取材合戦を繰り広げる脂ののった記者時代
    (主な登場人物)
    ◎佐山町介:鮎太のライバルL新聞社の敏腕記者。以前鮎太が見知った女性と縁のあることがのちに分かる
  6. 「星の植民地」
    (主な登場人物)
    ◎犬塚山次(研究者)鮎太の高校のときの同級生。医学専門(今で言う文化人類学と思われる)。
    ◎熊井源吉(闇屋)45歳、髭を生やして厳つい風貌から熊さんと呼ばれる。終戦直後に出会った女性と結婚し、汁粉屋喫茶店を開業。(鮎太曰く)戦後の「翌檜第一号」
    ◎オシゲ(不良)熊さんの営む店に出入りする娘

 あすなろの意味

あすなろの木

ヒノキ科に属する植物として有名なった言葉ではあるが

明日は檜(ひのき)になろう。明日檜、翌檜。

という願望も籠った命名だとする説は本書によってさらに広まったとされる。

物語の最初に出てくる作中表現はどちらかと言えば、マイナス方向のイメージから始まる。“軽蔑”、“哀れさ”、“暗さ”、“恐ろしさ”、“悲しさ”という表現が用いられているように「報われない努力」という意味で翌檜を例えているように見受けられる。

鮎太はいつか冴子が家の庭にある翌檜(あすなろ)の木のことを

「あすは檜(ヒノキ)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうと言うのよ」
と、多少の軽蔑をこめて説明してくれたことが、そのときの彼女のきらきらした眼と一緒に思い出されて来た。

「深い深い雪の中で」

ただ物語後半には「明日は檜になろう(翌檜)」、イコール「なにものかになろう」・「明日に向かって懸命に頑張る人」という意味で用いられるようになっていく。

それは第6編「星の植民地」の中で迎えた終戦にも関係する要素になっている。それまでの表現で翌檜減っていった中ではあったが、戦争も終わり、皆が前を向いてがむしゃらに生きようとする描写は、物語全体が終幕に向かうにつれて明るい気持ちにさせてくれている。

井上靖の半生とのリンク

文庫での公式プロフィールは

旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。

となっているが、新聞記者として主人公を登場させる等、井上の略歴とリンクする部分も少なくない。例えば、医師の家系に産まれ、戸籍上の祖母に育てられ、大学で九州に向かうシチュエーションは、自らのことであろうし、自伝的と言われる所以である。

個人的には、自らを投影させている人物がもう一人登場しているように感じるのであるが、その人についてはぜひ作品を手に取ってご確認いただきたい。

1907年(明治40年)5月6日 - 北海道上川郡旭川町(現在の旭川市)に軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれる。井上家は静岡県伊豆湯ヶ島(現在の伊豆市)で代々続く医家である。父・隼雄は現在の伊豆市門野原の旧家出身であり井上家の婿である。
1908年(明治41年) - 父が韓国に従軍したので母の郷里・静岡県伊豆湯ヶ島(現在の伊豆市湯ヶ島)へ戻る。
1912年(大正元年) - 両親と離れ湯ヶ島で戸籍上の祖母かのに育てられる。
1914年(大正3年) - 湯ヶ島尋常小学校(後の伊豆市立湯ヶ島小学校。現在は閉校)に入学。
1921年(大正10年) - 静岡県立浜松中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)に首席で入学
1927年(昭和2年) - 石川県金沢市の第四高等学校(現在の金沢大学)理科に入学。柔道部に入る。
1929年(昭和4年) - 柔道部を退部、文学活動を本格化。
1930年(昭和5年) - 第四高等学校理科を卒業。井上泰のペンネームで北陸四県の詩人が拠った誌雑誌『日本海詩人』に投稿、詩作活動に入る。九州帝国大学法文学部英文科へ入学する。

井上靖 - Wikipediaより(赤字は筆者による)

本書を巡るエピソード

さて、井上の半生とリンクする本作であるが、再読してみて受けた影響を私の歩みの中にも見つけることができた。本書に惹かれる理由を強調しておきたい。

  • 女性観
    井上の描く女性によって、女性に対する向き合い方が形成されたといっても過言ではない。
    まず、冴子や雪枝のような気の強い女性に魅力?を感じることが少なくない。口調はキツめであるけれど、内実は当人のためを思って優しさの裏返しとして突き放される行為に妙な嬉しさを感じる(変なカミングアウトになっている気もする)。
    その上に、さきほどの2人に信子も加えた、作中によく出現する肌の白い女性に対する憧れのようなものは井上のおかげで脳内に刻まれている。対比として描かれるオシゲもまた輝いているのではあるが。
    昔から付き合った女の子はたいてい気が強くて、色の白い女性が多かったような……。

私にとっての青春の一冊ではあるが、「青春時代に読んだ本」という意味ではない。むしろ「(青春期に手に取ってから)幾重も読み返した作品」である。自分が手に取った時の年齢によって、「こんなにも読後感は違ってくるのか」と思う程に興味が尽きないことが私にとっての本書の最大の魅力である。

そして読後に感じることは、私の女性観はやはり井上靖(敬称略)の筆の進みっぷりのおかげで形づくられたということ。

再読したあとに起こった出来事

冒頭に掲げた写真を見て、翌檜の木でも檜でもなく、ましてやお城とはどういうことだ。と訝しんだ方もいらっしゃることであろう。

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再掲した上記写真は、実は地震発生前の熊本城と天守閣から眺めることのできる眼下に佇む一木を写したものである。

私は熊本に住む書店員である。現在、電気を除くライフラインが止まっている中ではあるが、本に救われた事実をどうしても記事に書きたかった。

本記事の大部分は、地震の前に書いていたのだが作中の中にある表現でどうしても自分への叱咤激励として書いておきたい場面があった。

どうしてもどうしても公開したかった理由がそこにある。

 

『あすなろ物語』には、このような描写がある。

この○○○○を超えて行かねばならない。己れに克って人生を歩んで行かねばならない。中学に入って、沢山本を読まねばならない。

「深い深い雪の中で」(伏字○○○○は筆者による

あらゆる人間の営みは絶望的であったが、そうした中に於てもなお人間は生きなければならない、生きることだけが貴い、そんな感情の昂ぶりだった

「春の狐火」

明日は何ものかになろうというあすなろたちが、日本の都市という都市から全く姿を消してしまったのは、B29の爆撃が漸く熾烈を極め出した終戦の年の冬頃からである。日本人の誰もがもう明日と言う日を信じなくなっていた

「星の植民地」

明日どうなるかは分からない。いまを生きることすらありがたいと思う。あの日、地震の揺れが少しでも違う瞬間に起きていたら、私がいまこの記事に追加して公開できていることすら叶わなかったかもしれない。

けれども、過去をどう意味づけするかは、これからをどう向かっていくかは自分自身で決められる。井上の使った「克己」という表現ではないが、自分には勝つことができる。

そして、私は井上の描く「翌檜」となるために明日も信じられない今も乗り越えていきたいと思う。生きなければ。

本書の表現と共にもうひとつ。映画『亡国のイージス』で真田広之が言った「どんなにみっともなくてもいい、とくかく生きろ」という台詞が繰り返し脳裏で再生される。

 

 

今回記事は与えられたお題に沿って、私の「教科書」をご紹介してみた。

あなたの青春の一冊はどの本であろうか。

ゆっくりと本にまつわる話ができる平穏な日々が戻ることを祈ってやまない。

その日が来たら落ち着いたら、またあなたのおすすめの一冊を教えていただきたい。

*1:受賞は表題作のうち『闘牛』によるもの