積読書店員のつくりかた

とある書店員が気ままに書く、本と本屋さんとそれをつなぐ人々についてのつぶやき。書店と読書とイベントな日々、ときどき趣味。

『紋切型社会』からみた「『他者誘引型』自己完結思考」社会



はじめに

あえて言おう。本書を「新進気鋭」の著者による「渾身」の評論作だと「絶賛」するつもりはまったくない

書き手としての彼は、「社会」を自在に動き回って、ステレオタイプな表現をぶった切る。鮮やかな切り口、そしてこの切り方は「揚げ足取り」にもなり得る。その批評の構図を思い描くと、時として思考の罠に陥る可能性もある。

また、帯文に選ばれた文章や各氏の言葉もまた『紋切型』表現に陥っている恐れがある。「新しい書き手」、池澤夏樹の「読後はまさに痛快。」や白井聡の「陳腐な言葉と格闘」との表現すらも。それは私自身の反応にも言えること。

『紋切型社会』の内容

はじめにで触れたように、本書は「思考の罠」が伴う危険もあり、また内容があまりに多岐に渡っている。「快刀乱麻」ぶりもここまで来れば……「痛快」と「不愉快」の感覚差とは案外紙一重だとさえ思えてしまう。

今回は示唆に富む一冊『紋切型社会』を、下記の4つの視点からご紹介したい。

  • 時事問題への「批評」
  • 社会現象への「批評」
  • メディアへの「批評」
  • 「編集者」武田砂鉄

なお、本記事ではすべて敬称略で通させていただく。

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

 

 

内容をご紹介する前にまずは、下記にある目次を見てほしい。本書は、社会やメディアの批評に留まらず、政治思想や未開の「聖域」にまで踏み込んでいる。

 

地球を救おうとする24時間テレビと「清廉」アナウンサーの狭間にある某放送局や、オリンピック招致だけに関わらず上から目線甚だしい歴代都知事連中*1への記載は個人的に腑に落ちる。まさに「痛快」(なお、五輪招致の件は後述する)。

時事コラムとしての話題創出ぶりは「出色の出来」。

禁断のキーワード「顔に出していいよ」から、どうして建築知識編『建設業者』につながるのか。さらには、現在ではテレビで見かけなくなった化粧の厚い女性*2の常套句「あなた地獄に堕ちるわよ」と占い師がジャブで放つ「あなた、本当は誰にも言えない大きな悩みを抱えていらっしゃるのでしょう」の「詐〇(いちお自粛)」めいた構図の構造分析。

はたまた「ここではないどこか」のGLAYと『置かれた場所で咲きなさい』の渡辺和子を接続するその思考が分からない(褒め言葉)。まさに「慧眼」。

理解の領域を超越している。想像のその先へと誘ってくれる。 

『紋切型社会』もくじ

 はじめに
「乙武君」………障害は最適化して伝えられる
「育ててくれてありがとう」………親は子を育てないこともある
「ニッポンには夢の力が必要だ」………カタカナは何をほぐすのか
「禿同。良記事。」………検索予測なんて超えられる
「若い人は、本当の貧しさを知らない」………老害論客を丁寧に捌く方法
「全米が泣いた」………〈絶賛〉の言語学
「あなたにとって、演じるとは?」………「情熱大陸」化する日本
「顔に出していいよ」………セックスの「ニュートラル」
「国益を損なうことになる」………オールでワンを高めるパラドックス
「なるほど。わかりやすいです。」………認め合う「ほぼ日」的言葉遣い
「会うといい人だよ」………未知と既知のジレンマ
「カントによれば」………引用の印鑑的信頼
「うちの会社としては」………なぜ一度社に持ち帰るのか
「ずっと好きだったんだぜ」………語尾はコスプレである
「“泣ける”と話題のバラード」………プレスリリース化する社会
「誤解を恐れずに言えば」………東大話法と成城大話法
「逆にこちらが励まされました」………批評を遠ざける「仲良しこよし」
「そうは言っても男は」………国全体がブラック企業化する
「もうユニクロで構わない」………ファッションを彩らない言葉
「誰がハッピーになるのですか?」………大雑把なつながり
おわりに

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす|特設サイト 

時事問題「批評」としての『紋切型社会』

日曜がお休みという素晴らしい一日の始まり。それを、「サンデー〇ーニング」という時間帯そのままのタイトルを掲げる番組は、爽やかさのかけらもない風景で照らしてくれる。

先日もイチローが達成した日米通算記録のフリップを前にして、そのランキングに自分の名前が出てくる「喝」を入れたがる老人の顔を映していた。極めて不快だった。その誇らしげな表情は、「後進に道を譲らない」という彼なりの人生訓を、球史に輝く功績を台無しにするかのように実践してくれいるのでありましょうよ。

類似した風景を、本書は取り上げる。

五輪招致への記述では、石原を「『どうだ、やりたいだろう』と胸ぐらをつかむかのようだ」と(石原の後継である)猪瀬の行動を「一致団結をアピールし、都民にドーピング」・「マジックワード『立ち上がろう』」・「五輪に投じたつもりではなかった各々の『立ち上がろう』が、いつしか大きな国策に転用された」と喝破している。

また「婚活・街コン議連」会長小池や少子化担当・森の発言を挙げて、そのお気楽さを改めて振り返ることができる。前述4人は右側通行の方々であるが、左側に位置する議論も容赦ない。

戦後70年。あなたは戦争を知らない、だけど私は戦争を知っている、という申し出に「うるせえジジイ(ババア)」と突き返してはいけないことになっているが(p62)

そして日本の貧しかった時代を印籠にして、最近の若者に「ガミガミ」言いたい年長者のお歴々がいうキーワードに「本当の貧しさ」・「苦難」などを取り上げている。

これらに対する私のお気に入りの調理例はこちら。

昨今の新書市場は、年老いた大家の人生指南本と近隣諸国を無節操に殴打する本に溢れている(p65)

“説教臭新書”ブームの先駆けとなった曾野綾子『老いの才覚 (ベスト新書)』(p65)

原始的な不幸を知る・知らないの一点で説教癖のある男と女はタッグを組んでしまう。ならば標的になりやすい女や子どもや若者は「誰のお陰で生きているんだ」への返答として「少なくともあなたのお陰ではない」と挑発的な言葉を用意するべきなのだ。(p67)

学生時代に『豊かさとは何か (岩波新書)』を読んで感じた違和感を今なら理解できる。同書は時代考察への興味深い一冊であることに変わりはないとしても。

社会現象「批評」としての『紋切型社会』

「他者誘引型」自己完結思考

先日飲み屋で相席となった全く知らないオジサン(酔っ払い)から受けた説教は、(その状況は別にして)非常に示唆に富んでいた。

注文したわがおつまみを指しながら私は「ゴマサバって美味しくないですか?」と口にしてしまったのだ。この表現は明らかに同調を求めるために発したのではないことにハタと気づいた。

美味しさの根源は当人の味覚でしかないが、それを私は表現すると同時に「自分の考えを他者に押し付けている」要素を反省していたのである(ゴマサバの美味しさは普及したいが)。

本書の記述ではないが、とある書店営業が話していた内容に共感する部分は大きいので、引用させてもらう。

「私って○○じゃないですか?」、「あのヒトって△△系ですよね?」、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」であるとか、最近の論法で多い、「(発言者は)〜~だと思っていて、(共感を求める文章)」など(一部筆者改変)

これらの表現は、疑問形という形を取りながら、同調圧力を放ちながらも、実は発した本人の中ではある種の結論が出ている。

「評論家」もどきへの「評論」

武田は知り合いである女性の上記のツイートを引用してこう言う。

お恥ずかしながら、男性は、その事実を分かっていない。(中略)男性のファッションは初期設定に無難さが求められ、その上で個性をちらつかせるにはどうずればいいかが問われる。最初からユニクロ的だ。(p264~265) 

本書の例、そして本書自身も漏れずに「男性が有する『評論』したがりな側面」を抉っている。

メディア論としての『紋切型社会』

池上彰「わかる!」、細木数子「ズバリ言うわよ!」がどうしてテレビであそこまで受けたかと言えば、「下の人」たちがすがるように「上の人たち」の言葉を求めたから

実は今のメディアに、「書いてはいけないこと」は少ない。ただし、「書かないほうがいいこと」が異常に増えてきた。(中略)頓珍漢な自粛を気にしない原稿を見つけては「オレたちの」ルールを外れていると牽制してします。(p204)

「 あなたにとっての、演じるは?」章は情熱大陸やプロジェクトXなどの一定需要のある番組への「痛切」な文章は、ふと目にする映像の、現象の見方を「あなたにとって、メディアとは?」と問いかける。

ドキュメンタリーは、すでに流れている日常に媚びてはいけないし、視聴者にサプリメントとして愛用してもらえるように、味を整えたり、食べやすい加工したりすべきではない。
(中略)
名言botのようにイイ言葉が自然と流れてくる場は絶対的に怪しい。釣り竿を垂らせばたちまち釣れるのは、そこが釣り堀だからだ。(p95)

またジャーナリスト本田靖春について触れている「誰がハッピーになるのですか?」章は、いまや政権の、権力の先棒を担ぐ某新聞社を始めとしたメディアの「サラリーマン・ジャーナリズム」への皮肉に満ちている。

「編集者」武田砂鉄が提示する『紋切型社会』

語尾はコスプレである」と文章語尾に着目した章もまた題材の幅が広い。

アナ雪から、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)』でのアトムお茶の水博士とコナン阿笠博士の博士語、『横道世之介 (文春文庫)』のお嬢様祥子、はたまた赤ちゃんプレイに派生して、ジェーン・スー『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書)』や斎藤和義『ずっと好きだったんだぜ』にまで話を着地させている。

 本稿の議論をこの斉藤の曲で復習するならば、
「ずっと好きだったのよ」がアナ雪風、
「ずっと好きでしたわ」がお嬢様風、
「ずっと好きだったんでちゅ」が赤ちゃん風俗風、
「ずっと好きだったんだけどな」がジェーン・スー風、だろうか。(p189~190)

編集者視点で語る内容は、他章でも見ることができる。

全米が泣きそう『紋切型社会』 - HONZ」も触れていた書籍帯に関する記述は、店頭で頻繁にそのコピーを目にする身としても「待望」の記述であった。

「待望の文庫化」、「新進気鋭」の著者、「渾身」の作品。 

その他では、「ら」抜き言葉などの事例にみられる「日本語の乱れ」警察に触れた「“泣ける”と話題のバラード」章。あのカリスマコピーライターへの記述と文芸誌編集経験からくる対談への件とがある「なるほど、わかりやすいです」章。またananの裸表紙「〇ックス特集」と学歴コンプを刺激するビジネス誌の定期的な「大学特集」を取り上げる「誤解を恐れず」章。

そして、世間が浮かれるクリスマスに合わせて煽る女性誌の言葉採集を読むことができる「もうユニクロで構わない」章

「私、一か月でかわいくなれますか!?」(『CanCam』)
「『上品に際立つ』女になりませんか?」(『Precious』)

と言った「質問」(中略)問いかけてはいるものの、これは、答えを求めている「?」ではないのだから。(p261)

これらの記述に限らないが、刊行されている書籍のタイトルを実際に列挙しながら触れる内容は、読書量の豊富さと編集者経験に裏打ちされた説得力がある。

『紋切型社会』記事まとめ

 

「『良』書」の紋切型表現で終わらせるつもりはない。毒舌ぶりを見せる社会評論としての「待望」の書籍ではあるが、冒頭に申したように「絶賛」するつもりもない。

お昼前後に画面に出てきて、したり顔で大言壮語を放つ「コメンテーター」、言葉遊びする天邪鬼でもない。反応が画一化する社会における「思考実験家」としての、常套句を疑う「批評家」としての、武田砂鉄の脳内を覗き見たような本書。

「消費」されることを揶揄する部分もある。その一方で彼の言葉もまた鵜呑みにしてはならない。「思想家」武田砂鉄が自問自答を試行した作品でもある。

(文楽を見た当時の大阪府知事への言及として)彼の強引さが、一定期間とはいえ評判を得てしまったのは(中略)「なんとなく知ってはいるけれど、語るほどまでは知らなかったもの」を見定めて無駄扱いだと断言する潔さを痛快だと受け入れる体質が備わっていたからなのだろう。(p157)

言葉を扱う仕事であれば、ひとまず言葉に特別なヒエラルキーを設けずに、必要な言葉を実直に選び抜いてから差異化を図るべきだが、役所へハンコをもらいに行くように、部長に稟議書の決裁のサインをもらうように、格式を求めて言葉を引用してはいけない。(p159)

これら振り上げた刀は、そのまま彼に降りかかってくる。本書のジレンマである。

そして、編集者として、ライターとして、読者として、視聴者として、見事なまでに研ぎ澄まされた刃物が「クセ」になりすぎるのも考えものだ。「礼賛するのではなく、今を照射するための働きかけ」として耳を傾ける。彼の思考を垣間見つつ、糧にして自らの手で再整理する。

そうすることが「言葉で固まる現代を解きほぐす」本書を、解きほぐすことに相違ないから。解きほぐすための「?」を常に内在しておきたい。

ただし注意点は忘れないでおこう。再整理した思考を自己完結するのは構わないが、他者に同調を求めすぎてはいけない。

カルチャーの現場は、常に整わない環境*3を常態化しなければいけない。出る杭があれば育てなければいけない。出てこないで横目で既存の杭を見てそこに背丈を合わせてくるような杭にばかり餌を与えてはいけない。そんな杭は絶対にオリジナルな言葉を持たない。(p207~208)

出る「杭」としての武田砂鉄氏には、読者のひとりとして引きつづき期待したい 

現代「解体新書」としての『紋切型社会』は、きっと「批評」の神髄を見せてくれる

「読んだら誰かがハッピーになる」を前提にしてしまうと(筆者自粛)の偏差値が上がった話しか受け取ることができなくなる。批評は、ジャーナリズムは、懸命にそこから逃れなければならない。(p280)

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

 

 

*1:そして話は変わるが現都知事はなぜにかくも「評論家」なのか。当事者意識がないのは「政治家」ではない。いまだ「政治評論家」なのだろうか

*2:彼女の書籍のよく売れますこと売れますこと。余談だがネタぶりはアンサイクロペディアの記事を読んでみても面白いかもしれない

*3:強調は本書に準拠する。理由は文脈からのものであるが詳細は本書参照のこと